子どもの「怖い」は成長の証?娘と動物の関わりから感じたこと

子どもは成長するにつれて、できることが増えていきます。

だから親としては、「前はできなかったことができるようになる」という変化には慣れている気がします。

一方で、最近の長女(むーちゃん)を見ていて驚いたのは、その逆の変化でした。

以前は平気だったはずなのに、いつの間にか怖がるようになっていたのです。

「前は平気だったのに」実家の猫を怖がるようになった

実家では猫を飼っています。

もともとその猫は子どもが得意ではなく、ぼくたちが帰省しても別の部屋へ逃げてしまうことがほとんどでした。

ところが最近は少しずつ慣れてきたようで、ときどきリビングへふらっと顔を出すようになりました。

そんな猫を見ていて思い出すのが、むーちゃんの変化です。

1〜2歳頃のむーちゃんは、自分から猫を探しに行くくらい興味津々でした。

「猫さんどこかな?」

そんな感じで家の中を歩き回っていた記憶があります。

ところが3歳になる頃から様子が変わりました。

実家へ帰省したとき、以前と同じように

「猫さん探しに行く?」

と声をかけると、

「こわい〜」

という返事が返ってきたのです。

大泣きしたり、逃げ回ったりするほどではありません。

でも、確かに少し怯えた様子がありました。

その姿を見て、ぼくは素直に驚きました。

「あれ、前は平気だったのに」

子どもの成長というと、つい「できるようになること」に目が向きがちです。

でも実際には、成長したからこそ怖さを感じるようになることもあるのかもしれません。

ある日、むーちゃんが椅子に座ってお絵描きをしているときのことです。

猫がふらっと近くまでやってきました。

むーちゃんは猫をじっと目で追っています。

でも近づこうとはしません。

そして何も言わず、猫から少し離れた席へ移動しました。

大げさな反応ではありません。

ただ、「近くにいるのはちょっと怖い」という気持ちが伝わってくる行動でした。

面白いことに、以前は猫のほうが逃げていたのに、今ではむーちゃんのほうが距離を取っています。

まるで立場が入れ替わったようで、その様子を見ていると少し不思議な気持ちになります。

馬には乗れた。でも餌やりはできなかった

そんなむーちゃんですが、動物全般が苦手というわけではありません。

実は以前、自分から

「馬に乗りたい」

と言い出したことがありました。

正直なところ、猫を怖がる姿を見ていたので少し意外でした。

実際に乗馬をしてみると、多少緊張している様子はありましたが、嫌がることはありませんでした。

むしろ体験を終えたあとには、

「また乗りたい」

という反応。

親としても少し安心しました。

ところが、その後の餌やり体験では違う反応を見せました。

最初はやる気満々だったのです。

ところが、いざ馬が近くに来ると怖くなってしまったようでした。

馬に乗ることはできたのに、自分から近づいて餌を渡すことはできません。

結局、ぼくや長男(うおた)が餌をあげる様子を、少し離れた場所から見ていました。

その姿を見ながら思ったのは、

「興味がある」と「近づける」は別なんだな

ということでした。

やってみたい気持ちはある。

でも怖い気持ちもある。

大人でもそういうことはありますが、子どもはその気持ちをもっと素直に表現しているのかもしれません。

「無理しなくていいよ」と思えたこと

以前のぼくだったら、

「せっかくだからやってみたら?」

と背中を押していたかもしれません。

でも、そのときは不思議とそういう気持ちにはなりませんでした。

馬には乗れた。

でも餌やりはできなかった。

それで十分だと思えたのです。

むーちゃんは何もしていなかったわけではありません。

怖い気持ちを抱えながらも、その場にいました。

そして離れたところから、ぼくとうおたが餌をあげる様子をしっかり見ていました。

子どもの挑戦は、何かを「できた」「できなかった」だけでは測れないのだと思います。

近づけなかった日があるからこそ、次に少し近づける日が来るのかもしれません。

もちろん、その日が来なくてもいいのです。

今回の出来事を通して感じたのは、子どもの「好き」と「嫌い」は意外と単純ではないということでした。

猫は怖い。

でも馬には乗りたい。

乗馬はできる。

でも餌やりは怖い。

そんな矛盾しているように見える気持ちも、子どもにとってはきっと自然なものなのでしょう。

親としてできるのは、無理に克服させることではなく、その子なりの距離感を尊重することなのかもしれません。

いつかむーちゃんが自分から猫を撫でたり、馬に餌をあげたりする日が来るかもしれません。

でも今は、少し離れた場所から動物たちを眺めている姿もまた、成長の途中にある大切な一場面なのだと思っています。