電車を見るのが好きなうおた(長男)は、ホームに立つといつも目を輝かせて線路の先を見つめています。
ただひとつ特徴的なのは、電車が近づいてくると、そっと耳をふさぐことです。
怖がっている様子はありません。
大きな音が少し苦手なだけで、目線はずっと電車に向いています。
以前のぼくは、その姿を見て「周りからどう見られているだろう」と気にしていました。
けれど今は、子どもが好きなものに夢中になる時間そのものを、大切に思えるようになりました。
電車に特別な興味もなかったぼくが、息子と過ごす中で気づいたことを書いてみたいと思います。
電車が好きな息子、耳をふさぐ手
うおたは電車を見るのが好きです。
休みの日には電車に乗って都心部の駅まで行き、いくつものホームを行ったり来たりして電車の発着をただただ眺めています。
聴覚過敏で音が苦手なので電車が近づいてくると、両手で耳をふさぎます。
手を被せるのではなく、人差し指を耳につっこんで、わかりやすく耳をふさいでいます。
ただ、表情は落ち着いていて、目線はずっと電車に向いています。
電車や音を怖がっているというより、「大きな音が苦手なんだろうな」という感じです。
周りの目が気になっていた頃のぼく
正直に言うと、最初に気にしていたのはぼくのほうでした。
「周りの人はどう思っているだろう」「変に見られていないだろうか」と感じていました。
けれど、何度も一緒に出かけるうちに気づきました。
周りの人は、ちらっと見ることはあっても、特別気にしている様子はありません。
そのことが分かってから、ぼく自身も少しずつ気にならなくなり、慣れていきました。
電車に興味がなかった父が感じた満足感
ぼく自身は、正直なところ電車に強い興味があるわけではありません。
それでも、休日に息子の「好き」に付き合うことには、大きな満足感があります。
新幹線のホームで、列車が次々に入ってくるたびに、「来た」と目を輝かせて指を差す姿。
在来線の座席に座り、窓の外に見えるものをひとつひとつ言葉にして教えてくれる時間。
その様子を見ていると、「本当に好きなんだな」と感じます。
帰った後も「今日は楽しかったね」と言って、通過した駅の名前をひとつひとつ呟いている様子を見ると嬉しくなります。
子どもの「好き」に表面から向き合う大切さ
この経験を通して思ったのは、子どもの好きなものには、まず表面からでも向き合うことが大切だということです。
親がそれほど興味を持てないものであっても、一緒に見て、一緒に体験しているうちに、自然と学ぶことがあります。
気づけば、ぼくのほうも少し楽しめるようになっていました。駅の名前を覚えたり、乗り換えを考えたりするのも悪くないなと思いました。
電車に揺られながらぼーっと考えごとをする時間も好きになってきました。
そんな変化があることを、息子との時間が教えてくれました。
兄妹それぞれの「好き」と、これからの悩み
一方で、長女のむーちゃんは電車にそれほど興味がありません。
電車に乗るより、家でディズニープリンセスごっこをするほうが好きです。
兄妹それぞれに付き合う時間のバランスをどうとっていくのかは、正直まだ答えが出ていません。
できるだけ家族みんなで過ごすようにはしたいですが、休日の子どもそれぞれの相手を奥さんと分担するような形にするのか…。
それでも、「できるだけ本人がやりたいと言ったことには付き合いたい」という気持ちは大切にしています。
面倒くさがらずに付き合うという選択
今のぼくが大切にしているのは、面倒くさがらずに、子どもの「好き」に付き合うことです。
電車を見ながら耳をふさぐ、その小さな手を隣で見守る時間は、ぼくにとっても、かけがえのない休日になっています。